26. こまごめ楽座 (4)
「それじゃ、改めて……かんぱーい!」
「かんぱーい!!」
「乾杯!」
〈こまごめ楽座〉は、おかげさまで大盛況で幕を下ろした。出店者の皆さんと、近所のワインバルで祝杯を上げた後、名残惜しくて、主宰の晴美さんと新居浜くんと三人で、西中里公園に連れ立って向かった。近くのセブンイレブンで缶ビールを調達し、つまみにはレジ横の肉まんを買った。
「終わったって、実感ないなー!」
晴美さんが、大きく空を仰ぐ。私は微笑み、その横顔を見上げる。
「この日のために走り続けてきたから、それがぽっかり終わっちゃって、すごく不思議な気持ちなの、今」
「わかる、それ」
「栞さんも?」
「うん。あの日、晴美さんに会って、声掛けてもらってから、私の中でも何かが走り始めたなーって気がしてたから」
そう。あの日、カフェ・ポート・ブルックリンで晴美さんに出会わなかったら、私は今頃こうして美味しいビールを飲んではいなかったはずだ。晴美さんと新居浜くん、三人で公園で缶ビールで二次会を開くなんてこと、していないはずだ。
「堀口さん、この企画を通す時、めちゃくちゃ生き生きしてましたもんね」
「そうだった?」
「はい。部長からプレゼン資料見せてもらいましたけど、資料の精度高くてビビりました」
「さっすが、栞さん」
「なんだかね、気合い入っちゃって」
私は照れ笑いでごまかす。そう、あの時はなんとしても、こまごめ楽座と繋げたいという気持ちで一杯だった。この街の魅力を、うちの会社の人たちにも知ってもらいたいと願っていた。
「栞さんの会社の部長さんとも、お話させていただいたの。今度、改めて今日の物件についての資料をお送りすることになったわ」
「よかった。部長も、駒込の街を歩き回ってみて、なんだかすごく気に入ったみたい。帰り道には、霜降銀座商店街で焼き鳥とメンチカツ買って帰ったって、メール届いたもの」
「駒込を気に入っていただけて、嬉しいな。栞さん、素敵なご縁をありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。どういう展開になるかはわからないけれど、みんなにとって何かいい未来に繋がるといいよね」
「本当に。ありがとうございます」
「いえいえ」
深々と頭を下げる晴美さんに、私も頭を下げて返す。新居浜くんはビールをちびちび飲んで、肉まんを頬張りながら、朗らかにその様子を眺めている。目の端にその様子が入り、不思議と心が落ち着く自分を感じた。新居浜くんが来てくれて、よかったな。
すると、新居浜くんが急に立ち上がった。
「あそこ、猫がいます!」
「どこ?」
「あの、街灯の下に」
「あれは……ゴメスじゃない?」
「ゴメス!? あの、しゃべる猫ちゃんですか?」
「……新居浜くん、猫好きなのね」
「はい! とっても!!」
新居浜くんはそう言うと、笑顔で走り出した。完全に酔っ払っている。
「ああ、もう!! 晴美さん、私達も行きましょう」
「私はだめー、さっきのワインとビールで動けないー! 栞さんに任せた」
「晴美さんたら!」
「栞さん、お願いね」
晴美さんはダリアの微笑みを浮かべて、ひらひらと手を振る。もう、仕方ない。私は新居浜くんの大きな背中を追いかけた。新居浜くんの足元には、ゴメスが目を丸くして身を固くしている。
「新居浜くん、そんな走らなくても」
「すみません、ゴメスさんに昨日から会いたかったもんで」
「ゴメス、ごめんね、驚かせちゃったでしょう」
「びっくりしたニャ。しおりの友達なのかニャ?」
「新居浜日菜太といいます。ゴメスさん、はじめまして」
「会社の……そうね、お友達よ。いい人だから、こわくないよ」
ゴメスは、新居浜くんが差し出した指を、鼻をぴくぴくさせながら嗅いでいる。しばらくすると、その指に頭を撫で付けた。
「ひなたは、いいヤツなんだニャ。オレには、わかるんだニャ」
「ゴメス、ありがとう」
「ひなたは、しおりのことがとっても好きなんだニャ。しおりもいいヤツだから、大事にしてやってほしいのニャ」
「え……?」
「ゴメ、ゴメスさん!!」
私は新居浜くんを見上げる。新居浜くんの頬が赤いのは、ワインとビールのせいだろうか。
「ひなたも、しおりと一緒にこまごめに暮らすといいんだニャ。この街で、ひなたを待ってるニャ」
「ゴメス、新居浜くんは大塚に住んでいるのよ」
「……しおりはこういうことにとんとニブくて、どうもだめなんだニャ。あとはひなた、おまえに任せたんだニャ」
「ゴメスさん!」
ゴメスはひらりと身を翻して駆けていく。猫仲間のいるガレージに向かうのだろうか。新居浜くんとふたり、私は取り残された。
「もう、ゴメスったらごめんね」
「いえ、いいんです。……ゴメスさんが言ってくれたのは、本当のことなので」
私は新居浜くんを見上げた。新居浜くんは、真剣な眼差しで私を見つめている。そんな目をされたら、どんな表情をしていいかわからない。私はどぎまぎした。
「新居浜くん……」
「俺、待ってます。ゴメスさんが言ってくれたように、堀口さんのこと、とっても好きなので。急がないで、待ってます」
新居浜くんは、にっこり笑った。ああ、やっぱりこの笑顔はなんだか落ち着くな、と感じた。私も、にっこり笑った。
「ひとまず、次の休みには、駒込のどっちかの庭園に行って、珈琲飲もっか」
「はい」
新居浜くんと私は、微笑みあった。遠くでは、晴美さんが大きく手を振っている。空を見上げると、真珠のような月が光っていた。
(つづく)
0コメント