21. ある雨の日に (1)
「……強い勢力の台風14号は時速15kmの速さで進んでいます。今日10日には西日本に、11日には東日本にも大きな影響があらわれそうです」
私はラジオから流れる天気予報を聞きながら、窓の外を見上げる。確かに、雨脚は強くなってきたみたい。今日は、家でのんびり過ごすことにしよう。
私はラジオを消して、CDを選ぶ。うん、これにしてみようかな、ニルソンの《トゥーランドット》。何度か聴いたけれど、今日みたいな雨の日には元気になりそう。
世界の歌劇場でオペラの舞台美術家をしている大家さん、マダム澤松の影響もあって、私は少しずつオペラを聴き始めるようになっていた。これまで演歌しか聴かなかった自分にとっては、全く知らなかったジャンルということで、最初は怖さもあったけれど、いざ一歩、足を進めてみると、理屈抜きに高揚感を感じる自分がいた。
特に、ドナルド・キーン先生のご本で最初に気になったオペラ、《トゥーランドット》は私のお気に入りだ。異国の街に迷い込んだ気持ちにもなるし、盛り上がる合唱の部分では聴いているだけでテンションが高くなってくる。イタリア語なので、意味はまったくわからないけれど、その意味がわからないところもいい。聴きながら、企画書を書いていると、訳もなくハイテンションになって、その勢いを借りて書けるようなところもある。エナジードリンクなんかよりも、ずっとエネルギーが満ちて来る。
私はCDを壁に掛かったプレーヤーにセットする。スタートボタンを入れると、透明な蓋を通じてCDが回るのが見える。もうすっかり覚えてしまった、冒頭のメロディーを一緒に口ずさみながら、やかんに水を入れる。ちゃーん、ちゃーん、ちゃーん、ちゃーーーん、ズドーーン、ちゃららーらーらん! 音楽のことはわからないままに、オノマトペを適当につけながら、口ずさむ。
この、ズドーン、ってところがかっこいいんだよな、と思いながら、ガスの火を点ける。珈琲豆の入った缶を開けて、コーヒードリッパーをセットする。ペーパーフィルターを折り曲げて、豆を計って入れる。今日の珈琲は、ミドルガーデンさんのグァテマラにしよう。なんとなく、元気になれそう。
珈琲をこうして淹れるようになったのも、駒込に引っ越してからのことだ。それまでは、家で飲むとなると、粉のインスタントコーヒーか、ドリップコーヒーばかりだった。けれど、この街には素敵なカフェがいくつもある。ミドルガーデンさん然り、カフェ・ポート・ブルックリンさん然り、百塔珈琲さん然り。いつしか、珈琲豆を買えるミドルガーデンさんと、百塔さんで、「豆を選ぶ」という楽しみを見出してしまった。まだまだ初心者だけど、お店で挽いてもらった豆を自分で淹れるのは、なんとも言えないしみじみとした喜びを感じる。
お湯が沸いた。少し冷ましてから、ペーパーフィルターに入った珈琲豆の欠片に、お湯を注ぐ。豆が膨らみ、香りがふわっと起き上がる。鼻腔がくすぐられる。不思議なもので、美味しくなあれ、美味しくなあれ、と思いながら淹れると、自分比で美味しくなっていくのを感じる。一滴、一滴、褐色の珈琲が抽出されていくのを見守るのは、とても楽しい。
本当は、自分で豆も挽けるようになれるといいのだけど……。均質に挽けるのは機械のミルだとアドバイスを受けたので、普段使いにはそっちなのかなあ、とも思う。ただ、昔ながらの喫茶店に飾ってあるような、手動のミルにも漠然とした憧れを抱いてしまう。休日のひそかな愉しみだとしたら、手動のミルでもいいのかしら。でも、味を取るなら、やっぱり機械の方が……ああ、悩ましい。でも、こうやって悩む時間もまた、楽しいのよね。
淹れた珈琲を持って、ダイニングテーブルに座る。ふと思いついて、椅子を窓に向ける。窓の外は雨脚が少し弱まっている。雨の日と珈琲って、不思議と相性がいい気がする。今日はこのまま、溜まっている本を読む日にしようかな。それとも、昔の友達にハガキでも書いてみようかしら。それか、あるものを使って、時間のかかる煮込み料理を作ってみてもいいな。
雨を眺めながら、珈琲をひと口啜る。うん、なかなか。お店の味には近付けないけれど、淹れる度に少しずつ、美味しくなってきているような気がする。いいの、それで。自分のひそかな愉しみなんだから。
そんな風に、雨の休日の愉しみをあれこれ考えながら、珈琲カップを持って立ち上がる。すると、窓の外の公園の電話ボックスの影に、なにか白いものが歩いているのが見えた。なにかしら…と目をこらすと、どうやら猫のようだ。ちょっとぽっちゃりした、たぶん三毛猫……って。もしかして。
「ゴメス!?」
(つづく)
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