22. ある雨の日に (2)
雨を眺めながら、珈琲をひと口啜る。うん、なかなか。お店の味には近付けないけれど、淹れる度に少しずつ、美味しくなってきているような気がする。いいの、それで。自分のひそかな愉しみなんだから。
そんな風に、雨の休日の愉しみをあれこれ考えながら、珈琲カップを持って立ち上がる。すると、窓の外の公園の電話ボックスの影に、なにか白いものが歩いているのが見えた。なにかしら…と目をこらすと、どうやら猫のようだ。ちょっとぽっちゃりした、たぶん三毛猫……って。もしかして。
「ゴメス!?」
公園の木々がごうっと揺れた。風が強くなってきたらしい。風に煽られて、猫は──ゴメスは、よたよたっと歩みが乱れた。私は雨具を羽織って、レインブーツをはいて、傘とタオルを持って部屋を飛び出した。Twitterでは、台風の時には犬や猫は家の中に入れておいてと言ってた。マダムには後で伝えよう。こんな嵐の日に外にいたら、雨と風で大変なことになってしまう。
公園に着くと、ゴメスは風に揺れながら歩いていた。雨の音に紛れて、細く甘い歌声が聞こえてくる。ゴメス、こんな嵐の中で歌っているの? 私はほっとしたような、気の抜けたような思いになって、歩む速度を緩めた。そっと傘をさしかける。
「ゴメス、だいじょうぶ?」
「あ! しおりなのだニャ! おひさしぶりだニャ」
ゴメスは甘い声でニャーンと鳴いた。その声に、私は緊張感がほどけていくのを感じた。
「いま、嵐と一緒に歌っていたのニャ」
「嵐と?」
「そうだニャ。嵐がやってくると、深くて強い音楽を連れてくるのニャ。風がくるくる踊って、雨が太鼓を叩くのニャ。樹も、葉っぱも、嵐と一緒に歌って踊るのニャ。だから、オレも一緒に歌っていたのニャ」
それを聞いて、私は風の音に耳を澄ませた。ごおお、ごおお、ごおおおお。私には、ただ牙をむいて唸っているようにしか聞こえない。雨は、雨の音にしか聞こえない。
「風が唸っているようにしか聞こえないよ、ゴメス。雨は、ただの雨だよ」
「しおりは嵐の初心者だからなのニャ。 それに、その傘もジャマなのニャ。その傘を外して、全身で嵐を感じてみるといいんだニャ」
「でも、こんな嵐の中にいたら、ゴメス、飛ばされちゃうよ。よければ、今晩だけでもうちにおいでよ」
ゴメスは、目を丸くした。
「しおりの気持ちは嬉しいけど、それは申し訳ないんだニャ。それにオレは、もうちょっと嵐と遊んでいたいんだニャ」
「でも、ここにいたら飛ばされちゃうよ」
「もう少ししたら、向こうの猫仲間のいるガレージに行くことになっているから大丈夫なのニャ。心配ないのニャ」
「それならよかったけれど」
「それより、しおり、傘を外すのニャ。嵐を全身で感じてみるのニャ」
私は、おそるおそる傘を閉じてみた。雨が髪を濡らし、顔に打ち付ける。風が、ごおお、ごおお、ごおおおおと吹き付ける。雨具を通じて、雨の粒を直接感じる。すごい。
「嵐が、嬉しそうに歌って、踊っているのニャ」
「これが、嬉しそうなの?」
「そうだニャ。嵐は、生まれてもすぐに消える運命だからニャ。だから、いまここで、生きている瞬間の喜びを、思いっきり歌って、叫んで、踊っているんだニャ」
そして、ゴメスはくるくると回った。
「オレたちも、嵐と一緒に踊るのニャ。ほら、しおりも踊るのニャ」
「えっ、えっ、ええっ!?」
ゴメスは歌いながら、私の周りをくるくると回る。その様子が可愛らしいのと、風の音がすごいのとで、怖いのを通り越して、私はだんだん楽しくなってきた。体を揺らしてみる。足踏みを始める。リズムを取る。たん、たん、たたん。たん、たん、たたん。
手を広げて、上にあげて、くるくる回る。たん、たん、たたん。たん、たん、たたん。雨粒が踊り、跳ねる。風が、私達の周りを舞い踊る。
私はゴメスに笑いかけた。ゴメスも目を細めて、ニャーンと鳴く。たん、たん、たたん。たん、たん、たたん。私達は、嵐と共に、踊り続けた。気がついたら、私は大きく笑っていた。
(つづく)
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