14. 大人の文化祭


 殿上湯の大きなお風呂を堪能した私は、看板の矢印に導かれながら裏庭に向かった。にぎわいが聞こえてくる。こっちだな、と思って角を入る。人が多く集まっている。ああ、ここだ、ここだ。


 運動会のような白いテントの屋根の下、珈琲の屋台と、焼き菓子やサンドイッチを売るお店が出ている。わあ、楽しい。私はにこにこしながら、お店を見て回る。


 珈琲のお店は、2店舗が出店しているみたい。前にマダムが教えてくれて以来、私のひそかなお気に入りになったMIDDLE GARDEN COFFEE STANDさんと、それと抽出人間さん。じつは昨日、珈琲牛乳フェスの情報を色々調べていたら、それぞれのお店が今回のイベントに向けて特別メニューを作られたと知った。なので、欲張りだけど、それを両方飲めたらいいな…と思いながら、今日は来たのだ。



 バリスタさんたちの丁寧な仕事ぶりを見守りながら、私は空を仰いだ。6月の青空は、本当に気持ちがいい。こんな日に、お風呂上がりに飲む冷たい珈琲は、最高の味に違いない。


 白いテントの中に置かれた椅子には、たくさんの人たちが珈琲牛乳を片手に、和やかな語らいの時間を愉しんでいる。あら、でもいっぱいで、座る場所はないみたい。



「あちら、離れのお部屋でもゆっくりできますので、よろしければ」



 立ったまま、紫陽花でも眺めて飲もうかしらと思っていたところに、先程、オープン前に花のようにたおやかに微笑んでいた、お子さん連れの女性が声をかけてくれた。もしかしたらこの方が、Twitterを書かれている殿上湯の方かしら。私は礼を言って、案内されたお部屋に向かう。アパートの一室を開放してくださっているみたいだ。





「わあ!」



 私はお部屋に入った瞬間、声を上げた。そこは昔ながらの、可愛らしい畳のお部屋。玄関で靴を脱ぎ、部屋に入り、出窓に向かう。冷たい珈琲2種類を置いて、肘をついて外を眺める。なんだか、旅行に来たみたい。私は目をつむる。外からの風、葉擦れ、そして人々のさざめきが聞こえてくる。畳の、行儀よく並んだい草の感触を脛に感じる。なんだか、この感じ、すごく懐かしいな。おばあちゃんの家に行った時みたいな、そんな感じ。私は目を開き、お部屋に置いてあった団扇でゆっくりと扇いだ。


 なんだか、大人の文化祭みたい。そう思いついて、私は微笑んだ。大人になってしまうと、本気で何かを愉しむって瞬間が少なくなってきたけれど、こうやって全力で愉しむことって、なんて素敵なんだろう。ここに集まっている人たちは、そのかけがえのなさを知っている人たちなんだわ、と思うと、この風景がとても愛おしく感じられた。


 そろそろ、乾いた喉を潤そう。私は、まず珈琲牛乳に手を伸ばした。軽くかき混ぜて、シロップと珈琲牛乳を混ぜる。ひと口飲んで、柔らかいけれど、華やかな味わいに、私は目を見張った。パッションフルーツが、すごくいいアクセントになっているんだわ。珈琲も、すごく美味しい。バリスタさんが作る本気の珈琲牛乳は、こんなお洒落で奥深い味になるのねと、私は感動を覚えた。


 そして、グレープフルーツとエルダーフラワーのシロップが入ったアイス珈琲にも手を伸ばす。ピンクグレープフルーツの桃色と、珈琲が鮮やかなコントラストだ。ひと口飲むと、グレープフルーツとエルダーフラワー、そして珈琲の香りがいっぱいに鼻腔に広がった。ああ、なんて夏らしい飲み物なんだろう。私は新鮮な驚きを感じた。程よい甘みと苦み、そして冷たさが、お風呂上がりの火照った体を冷ましてくれる。


 どっちも、すごく美味しいなあ。私は、ちびちびと、両方のストローを交替に啜った。お行儀悪いけれど、こんな楽しみ方が出来るのも、こういうイベントだからこそかもしれない。


 私はふと、Facebookの駒込のコミュニティのことを思い出した。昨日、カフェ・ポート・ブルックリンのマスターがくれた「こまごめ通信」に載っていたコミュニティ。スマホを出して、Facebookの画面を開く。




 「駒込を楽しみ隊」。いまは800人を越える人たちがいるのね。すぐに1,000人になっちゃいそう。スクロールしていくと、たくさんの人たちが駒込の様々な風景を投稿しているのに驚く。あ、珈琲牛乳フェスのことを投稿している人もいた。とたんに、私は親近感を覚えた。顔も知らない人だけど、駒込という共通項を介して、こうしてゆるやかに繋がっているんだなあ。なんだか嬉しくなった。


 あとで、またゆっくり見てみよう。私はスマホを閉じて、華やかな味わいの珈琲牛乳を飲み終わる。グレープフルーツの方はまだ飲みきれなかったので、手に持って外に出る。


 昼間になって、太陽はいよいよ強さを増している。私は、先程の女性に声をかけた。



「ありがとうございました。おかげさまで、ゆっくり寛げました」

「それはよかったです」



 女性は、にっこりと笑い返してくれた。ああ、やっぱり花のように笑う人だな。私は、静かにそんなことを感じて、嬉しくなる。



「また、8月にも朝湯カフェやるので、ぜひいらしてください」

「そうなんですね! 8月はいつですか?」

「8月16日の日曜日です」

「ありがとうございます。ぜひ」



 私も、にっこりと笑った。お盆の頃か、楽しみだな。少し先の未来に、小さな灯火がぽっと灯ったような気がした。






(つづく)




駒込珈琲物語

駒込を舞台にした小説。 毎週土曜日に更新中です。

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