13. 心と体のご馳走
私は、殿上湯のお風呂場のガラス戸をゆっくりと開けた。
「わあ……」
思わず、声が上がる。正面には、ペンキで描かれた見事な富士山の絵があった。これこそ、お風呂屋さんの原風景という感じだわ、と感動を覚える。時間帯もあってか、比較的お風呂場の中はのんびり過ごせそうだ。白いタイルを踏みしめながら、座椅子と洗面器を手に取って、赤と青に色分けされた二つの蛇口の前に座る。体と髪を洗い、髪をタオルで包んで、湯船に向かう。
湯船は三つに分かれている。泡の出ている大きめの湯船、その隣にある二つの小さな湯船。そういえば、地下深くから汲み上げた地下水を使っているって、ホームページに書いてあったっけ……と思い出す。まずは、大きな湯船に足をつける。決してぬるめではない温度、でも心地いい熱さのお湯に迎え入れられながら、身を沈める。くはああああ、という声にならないうめき声が洩れる。なんて、気持ちがいいんだろう。私は富士山を背に、壁のタイルに体重を預け、腕と足を思いっきり伸ばす。ふわあああああ。吐き出す息に、心と体の溜まった疲れがみっしり染みこんで、外に排出されていくような気がする。ああ、気持ちがいいなあ。私は手で湯をすくい、顔を撫でた。
横にあるジャグジーのような泡が気になったので、体を移動させてみることにした。背中に強い水流が当たる。なるほど、背中のコリをほぐしていけるのね、と感心する。水流に身を任せながら、長い息を吐く。水流に揺られながら、息が波打つ。そして体を包み込む泡がくすぐったく、心地よい。私は目をつむり、口をぽかんと開けながら、ふわああ、と息を吐いた。余分な力や緊張が抜けていく。体中のこわばりが抜けていく。首を左右に傾ける。パキパキッ、と乾いた音がした。
お風呂場の中を見回す。様々な年代の人が、それぞれの流儀でのんびりと、このお風呂を楽しんでいるのが分かる。私は、一段高くなったスペースに身を移して、お風呂場全体を見回す。このスペースは、半身浴をするのにちょうどいいのね、と気付く。足を伸ばして、湯をすくって、肩を撫でる。高い天井の窓からは、光がこぼれている。柔らかい朝の光に包まれ、富士山を見上げる。そして、穏やかにお風呂を楽しむ人々を見つめる。大きな湯船は、心をどこまでものびのびと広げてくれるようだ。風呂は、心と体にとって大きなご馳走だなあ、と思う。
これまでの人生ではほとんど来たことがなかったけれど、銭湯ってなんて素敵な場所なんだろう。温泉とも、また違う。その日その時、お風呂をご一緒する人たちとの一期一会の、言葉にならない、空気を通じた静かなコミュニケーションが、こんなに心をほぐしてくれるとは気付かなかった。私は、目を閉じて、窓からの光を瞼で感じた。体を柔らかく、湯の流れが包む。
もう一つのお風呂は水風呂、そして残る一つはより熱めのお風呂だった。それぞれのお風呂の違いを堪能して、私はほかほかの心と体で湯を上がり、脱衣所の入り口で体を拭いた。脱衣所の真ん中にある大きな台には年配のご婦人が腰をかけて、団扇であおいでいる。お風呂にこれから入る人、お風呂から上がった人と、脱衣所ではそれぞれの時間が交錯している。脱衣所の奥には、キッズスペースもあるみたい。若いお母さんが、ピンクのパンツをはいた子供さんを遊ばせているのを、微笑ましく見つめる。
手早く体を拭き、衣服を身に着ける。保湿クリームを簡単に塗って、備え付けのドライヤーに小銭を入れて、髪を乾かす。眉毛をさっと描いて、髪をまとめる。脱衣所の上の時計を眺めると、11時10分。ちょうどいい時間だ。
番台のダンディな男性にお礼を言って、先程の中庭に向かう。初夏の陽射しは、やはりなかなかに厳しい。今日も暑い一日になりそうだ。私は、六月の太陽を見上げ、殿上湯の裏庭に向かった。さあ、珈琲牛乳フェスだ。私の心は浮き立った。
(つづく)
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